6月23日は沖縄「慰霊の日」/ 76年前に何があったのか。

沖縄情報

76年前に何があったのか。

太平洋戦争で、沖縄で組織的な戦闘が終わったとされる6月23日。全国で沖縄だけが「慰霊の日」とし休日となっています。「慰霊の日」には、毎年各慰霊塔で慰霊祭が行われ、一番激しい戦闘があったとされる糸満市の「平和祈念公園」では平和を誓う追悼式が行われます。「平和祈念公園」の「平和の礎(いしじ)」には、すべての戦没者名(敵国戦没者含め)が刻まれています。

「平和祈念公園」
住所 : 沖縄県糸満市摩文仁444
電話 : 098-997-2765

なぜ沖縄が戦場に?

1945(昭和20年)年3月23日からのアメリカ軍による連日の空襲で幕を開ける沖縄戦。

アメリカ軍は日本本土への足掛かりとするため、3月26日に慶良間諸島に、4月1日に沖縄本島の嘉手納(かでな)海岸へ上陸、そして南部への進撃開始。

日本は本土決戦までの時間をかせぐため持久作戦を展開。昼間はアメリカ軍の猛攻に耐え、夜は地下壕から抜け出し、アメリカ軍を切り込み隊で襲撃し徹底抗戦。だが南へ南へと攻め込まれ、日本軍・沖縄県民ともに追い詰められていく。

その結果、沖縄県の推計によると、日米の軍民あわせておよそ20万人が死亡。沖縄県民は4人に1人が犠牲に。そして、1945年 終戦。

「アメリカ世(ゆ)」の沖縄

太平洋戦争で本土防衛の盾になり、住民までが地上戦に巻き込まれ、県民の25%が戦死した沖縄。その後、日本本土の独立とともに沖縄は日本から切り離され、27年間に及ぶアメリカの占領統治が始まります。戦争が終わってもなお、生きるための妥協を強いられる沖縄。

アメリカ軍の沖縄占領統治時代を「アメリカ世(ゆ)」の時代という。「アメリカ世」時代は、

  • 日本本土に行くにはパスポートが必要
  • 買い物はドル
  • 祝日以外の日の丸掲揚禁止

沖縄、外国でした。

1972年 沖縄の日本復帰

1972年の日本復帰実現後も、いまだに多くのアメリカ軍基地が残されたまま。全国の米軍専用施設面積の70.3%が集中し、沖縄本島の面積の実に15%を占めます。

「島唄」の本当の意味とは

宮沢和史さんのTHE BOOM「島唄」の歌詞には、戦争にちなんだ本当の意味があると聞いたことがあります。歌詞の意味について調べてみたら、こちらのサイトがヒットしました。

(参照)https://toyou-medical.com/blog/posts1592/

▼島唄の歌詞の持つ本当の意味

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

引用元 https://toyou-medical.com/blog/posts1592/

歌詞の意味が本当かどうか分かりませんが、当時の情景が目の前に思い起こされるような、心に響く話です。

75.5%の人たちが「慰霊の日」を知らない

全国75.5%の人たちが知らなかった沖縄の「慰霊の日」

引用元 沖縄タイムス『慰霊の日「知らない」75.5% タイムス・ヤフー 全国調査 沖縄戦の知識 低い認知度』

沖縄タイムス紙の記事で「慰霊の日」の認知度について記載がありました。沖縄では日常なことでも、内地からしたら遠い場所・遠い昔に起こった出来事として、人々の記憶には残りにくいのか。この悲しみを忘れてはならない、風化させてはならない。

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